好みの問題
「天才」の演奏だけが素晴らしいとは限りません。実際、私が本当に心が震えるほどに感動した演奏は、「天才」の奏でるそれではありませんでした。
はじめにパイプオルガンを教わったのは、当時神戸松蔭女子大学のチャペルオルガニストと講師をなさっておられた、長谷川美保先生でした。キュートで小柄な身体に、濃い色目のパンツスーツのコントラストが素敵でした。レッスンもとてもわかりやすく、お話も、教えるのもお上手です。もう一度パイプオルガンを勉強する機会に恵まれたなら、迷わず長谷川先生にお願いしたいと思うくらい。
在籍中に先生がスウェーリンクのオルガンの曲を集めて演奏なさるコンサートを聴きに行ったときのこと。その頃の私は、毎週真面目に練習に通い、それなりに足も動くようになってきて、バッハ以前のバロックやそもそもパイプオルガンを聴く経験値も少しは上がっていました。しかしながら、当時はちょうど生活サイクルが変わったばかりで、神戸松蔭での勉強に100%注力することができずにもいました。
長谷川先生の演奏は、私がいつも弾いているパイプオルガンと同じとは思えませんでした。この楽器には、こんなに表現力があり、もっといろんな音楽を奏でる可能性があるのか。そんな事にも気付いていなかったのね…。
そしてスウェーリンクの半音階的幻想曲。恥ずかしながら予習もせずに行ってしまいました。にもかかわらず、例えて言うならば言葉を理解するような感覚で、先生からのメッセージが音を介して頭に、心に入ってきました。先生ご自身もこの曲とスウェーリンクを理解するために勉強をされたこと、どのように伝えるのか試行錯誤と練習を重ねて1つの「答え」を出したこと、さらにその答えを確実に表現するために自分に厳しく、極限まで挑戦し続けたこと…それらがこの素晴らしい演奏に凝縮されていました。
純粋に音楽に対する感動、それに対する自分の小ささ…気がつくと不覚にも涙が出ていました。普段でも滅多に泣くことのない私が。だからコンサートは油断できない。一期一会のこの瞬間に、弾き手と聴き手のコンディションにより、不思議な化学反応が起きるのです。
あえて言うなら「秀才」とでも言うのでしょうか。人類の中でほんの一握りの人間である「天才」の非の打ち所の無い演奏よりも、こんな人間臭い「秀才」の演奏の方が、好きみたい。なんて、実はただ単に聴き手の好みの問題なのかもしれないけれど。
しかしですね。結論を出すには、まだまだ早い。もっとたくさん演奏を聴いて、いろんなことを勉強するのだあー。