できること
東日本大震災で被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
今更ですが…ずっと心に引っかかっているわけです。まず、募金しました。東北に住む友人の作るさくらんぼを買わせてもらいました。ボランティアに行くと言っても時間も無く、作ればあるんだろうけれども、私が行く意味ってなんだろう。それよりも何か、今、ここで、できる何かが無いのか。
生きていくうえで、音楽は必要不可欠なものではありません。災害時に欠かせないものではない。
チャリティーコンサートって、ちょっと違うと思うんです。人を集めて、(電気を使って、)音楽をして、集まったお金を送る。なんか、違う。それなら募金でよくない?
「癒しの音楽」って、なんか違う。本当に困ったとき、天地がひっくりかえるような出来事があったとき、音楽を聴きたいとは思えないと思うんです。そこはむしろ無音で、ただ事実があるだけで。その現実、「あることそのまま」以上の何かを受け入れるほど人の脳も心も大きくは無いと思うのです。
だけど、その現実を内省化し、ある程度消化したところで、ふっと…「音」が聴こえてくる。今まで気付かなかった「音」が聴こえてくる。モノクロの世界からカラーの世界に蘇るような。次々と音が溢れ、紡ぎだされ、メロディーとなりハーモニーが加わり、そこで初めて、「音楽を聴きたい」と思えるような…少なくとも私にとっては、音楽とはそういうもののようです。
災害時に音楽は必要不可欠なものではない。食うに困るほどの状況では必要ではないのです。
で、改めて。私に、今、ここ大阪で、できることは何か。そう思って企画したのがクリパ! だったりします。書くか書かないか、すごーく迷っているんですが、今も…まあ、書きます。
例えば災害時。ただ救助を待つだけではなく、自ら行動し、自ら人々をとりまとめる能力と経験のある人材が必要ではないか。教える立場にある私が、そういうことを次の世代に伝えられないか。
クリパ! の企画、運営を子供たちに任せることで、少しでも経験を積んでもらえないかなと思ったのです。
甘かったです正直。常に考えてはいるんです、子供たちに生きる力をつけてほしいと。リトミックを学んでから、その意識はずいぶん大きくなりました。しかし現実には「ピアノを弾くこと」以外のことに着目しすぎて本筋から離れ過ぎてしまっていないかと我に返ったり、迷ったり、戻ったり、その繰り返しです。
クリパ! でも、そうでした。具体的に書くと長くなるので割愛しますが、やっぱり結局、教えることより教わることの方が多いです。
だけどね、うん。やはり書きましょう。一応、そういうことを考えて、もがいているんだ、てこと。未熟な自分を晒すようですが、それも全部、見てもらお。こんな私ですが、通ってきてくださる皆さん一人一人のこと、精一杯考えてるんだよーってこと…
ずーーっと考えてるのにね、なかなかまとまりません。このへんで一旦、文にしておきます。この先は、これからも試行錯誤しながら皆さんと共に歩んでいきたいと思います。
今年もよろしくお願いします。